|
著者につては知りませんが、本を手にすることになったのは、題名に惹かれた事と、冒頭で連続幼女殺人事件に触れていたからです。
澁澤龍彦氏については、知り合いに相当入れ込んでいる人物がいたり、私自身何冊か読んでいたので、昭和史を澁澤龍彦という知識人という視点から鳥瞰するという試みがどのように行なわれるか、興味がありました。
それと何よりも、昭和の終末に起きた連続幼女殺人について、言及していたからです。
著者は以下のように告白し、主張します。
当時(80年代から90年年代)、筆者の世代、殊にそのなかでも「ギョーカイ」と呼ばれたマス・メディアの周辺で棲息していた。著者を含めた20代から30代にかけての若者対たちが、いくつかの社会的現象に少なからぬ衝撃を受けて動揺していた。〜略〜これが私たちの世代を動揺させたのは、何よりもマスコミが誇張して報道した宮崎の「異常な」性向や日常が、私たちのそれとあまり隔たっていなかったゆえだった。〜略〜
好きなものに囲まれ好きなことをして、いつ果てるともしれぬモラトリアムの日々をよるべなく送る二十代の生きざまが、やがて外の社会との正しい距離感を喪失させ、自制のきかない欲望への耽溺を招き、あげくは陰惨な破滅というツケを払わされるかもしれ無可能性を目の当たりに見た怯え。これこそ、私たちの動揺の正体であった。そして、この怯えを同世代の課題として前向きに受け止めて生きるためには、まず宮崎と自分たちとが同じ性向を共有することを認識した上で、しかし自分たちは宮崎の破滅へ到る轍を踏まずに生きてゆけることを、説得力をもって示すことが要請されよう。すなわちカプセルに立てこもり、好きなものに囲まれ好きなことをして生きながら、しかし「精神の健康」は失わない方途を探索し提示してゆくことが必要だったわけである。
その方途の糸口を著者は澁澤龍彦氏の著作を読み解くことで見いだそうとします。
結局「精神の健康」は澁澤龍彦氏の著作に示唆されているものの、積極的なかたちで現れていないと結論します。この著者の結論はやや性急に過ぎる感がしますし、ものたらなくもないですが、じゅうぶん納得できるものです。
ただ私としては、せっかくの「ギョーカイ」の経験者である著者のことですから、そうした「ギョーカイ」の裏事情をフルに生かして、80年代から90年代へかけて起きた衝撃的な社会現象を澁澤龍彦氏の著作とともにもっと積極的に語って頂きたいと思いましたね。
「澁澤龍彦の時代」は論旨は明快で分かりやすく、澁澤龍彦氏について何か知りたいと思う人にはかっこうの手引になります。ただ、私には大部なことが一寸厄介でしたが。
|