矢沢宰「足跡<日記>」童心社
2000.9.18
矢沢宰は長らく苦しんでいた病により21歳で早世しました。死後彼の生前書き残していた詩が関係者の尽力で発表されるに及び、大きな反響を受ける事になりました。そういえば、今年の長岡のアジア映画祭で、小林茂監督の作品、「こどものそら」の冒頭に「少年」の詩が使われていましたね。この「足跡」は矢沢宰の書き綴った日記の一部です。
日記は矢沢宰が13歳で入院した年の1958年11月3日から、21歳で死ぬ1966年10月25日まで、毎日欠かさず書き綴られ、大学ノート26冊に及ぶそうです。そうした膨大な日記を、この著書の編集者の言葉を借りれば、「集約」したものが本書です。
「足跡」は生きることのすばらしさと死に向かい合っていることの怖れと絶望との間で大きく振幅する矢沢宰の心の震えを感動的に、同時に哀切を覚えずにいられないほど伝えています。もっとも、そのように「集約」されたのだとも言えるかもしれませんが。
今回「小道が見える」で始まる詩の由来には考えさせられました。
解説によれば、実は日記は10月25日以後も書き綴られていたのですが、死の間際に矢沢宰自身によって処分されたということです。その行為にたいする決意は10月25日の日記の次の一節から窺い知る事ができるように思えます。
「(前略)しかし、はたして私の心を許せる人で、真に私を理解してくれる人であろうか。否、私は彼らの中にだけではなく、友人、知人、親戚の中にも、私は私の真を許しはしないだろう(後略)」
矢沢宰の破棄した日記に綴られた「真の私」は彼の死とともに、誰の手にも触れることができなくなりました。それは、彼のその「真の私」が、もはや誰によっても、好意からにせよ、悪意からせよ、奉られることも、また貶められることもなくなったということでしょう。
彼の死後、「小道が見える」が絶筆として見出されます。そこには破棄されずに残された矢沢宰の「真の私」が表れているとも言えますが、そうでないとも言えます。少なくとも、この絶筆の詩は率直な真情の吐露とはいえないと思えるのです。
矢沢宰には、その最晩年、人に打ち明けられない、あるいは人に理解してもらえないという絶望的なまでの孤独感があり、それは他人からの理解すら拒絶するまでに至ったように思います。
彼が破棄された日記に自らの真を封じ込めたのは確かだと思います。しかし、彼の中の抑えきれない情念は絶筆の詩に昇華される事で、「真の私」を封印しつつも、人々に語りかけるという、実に不思議で奇跡的な離れ業を最後に演じているように思えてなりません。
矢沢宰「光る砂漠」 1998.10.29
矢沢宰=その2= 1999.2.13
by BigBrother
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