ぼくのオンリィ・イエスタディ その50
「90年代ヘアーヌード写真集への道程」
2000.11.19
つくづく日本というのは、神の国ならぬ、建て前の国であって、あらゆることに表と裏がある。「野暮な事は言いこなしですよ」と訳知り顔に言われれば、建て前がある事のほうが、洗練された文化のような気もする。ただ、建て前を「オカミ」が管理してほしくないだけであって、猥褻物陳列罪なんて言う罪状は、やっぱりどう考えても理不尽だと思う。浮世絵の最上のものはポルノグラフィだそうだけれど、これがまったく現代芸術に影響を与えるほどのすばらしさで、歌麿はもちろん、葛飾北斎やその娘にとってもけっして片手間の筆すさびではなかったのだそうだ。
ピカソのポルノまがいの絵を訳もなく絶賛する俗物たちは、当節の低俗で扇情的な現代のエロ雑誌やビニ本を悪書追放箱に投げ入れたり、焚書にすることをただひたすら奨励するけれども、その類型的な俗悪さはむしろコラージュめいて、ポップアートであるような気がする。ポップアートって偽悪趣味みたいなところがあるよなあ。微妙な陰影ってない気がする。○×式で、指パッチンでオッケイってな感じかな。
ヘアヌード写真集が今ではあったりまえになったが、1980年代ではいっこうに来そうで来ない神の国だった。一方では地獄の口のばっくり開いた、ほとんど解禁状態でありながら。
当時ゲリラ的に、しかしながら、堂々と白日のもとにさらそうと多くのことを試みたまっこと挑戦的にして、おもろい人々がいた。なかでも、ブルータスの「裸の絶対温度」は忘れがたい企画だった。
たぶん、こうした人々や「売らんかな、話題を巻き起こしたれ」の人々、あるいは青雲の志と助平根性に満ち満ちた名も知れない民草たちの、たゆまぬ馬鹿げた獅子奮迅が今日日のヘアヌード写真に実を結んで、「もうこの手の写真集は飽き飽きですよ」って言わしむるに多大なる貢献をしているのは間違いないね。
by BigBrother
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