ニ―チェ(阿部六郎訳)「人間的な、あまりに人間的な」新潮文庫上下
2000.3.5
哲学書なんて読む柄ではないのだが、ニーチェのいくつかの随想めいた文章を時折読み返す。もとより、ニーチェの現代思想に与えた影響とか、今日的意義がどうたらこうたらで読んでいるわけではさらさらない。むしろ、感傷的な名文家としてのニーチェをひたすら愛好するだけだ。だから、ニーチェの教説、超人とか永劫回帰とかはまったく興味がない。ニーチェがその折々にものした名文に感心するだけでいい。なるほどと思わせてくれれば、同じ主題をまったく別に論じようがかまわないのである。もちろん、哲学書の読み方としては最悪だろうが。
エピュキリアンの言葉が帰せられる古代の哲人エピクロスについての好ましいイメージはこのニ―チェ「人間的な、あまりに人間的な」から受け、今でも、エピクロスの園が僕にとっても理想郷として刻み込まれている。そして僕も永遠のエピュキリアンになりたいとひそかに願っているのである。
「永遠のエピクロス」
エピクロスはあらゆる時代に生きて来たし、今尚生きている、エピクロス派と自称した、また自称している人々には知られぬままに、そして哲学者のもとで何の名声もなく。それにまた彼自身が自分の名を忘れてしまった、それは彼がかって投げ捨てた中で何より重い荷物であった。
「Et in Arcadia ego.(そして私はアルカディアにいた)」
私は丘々の波をこえ、樅や老いて厳しい松の群れを通して、一つの乳緑色の湖水の方を見下ろしていた、周りにはあらゆる種類の岩塊があり、地はいろいろの花や草に彩られていた。一群の獣が私の前に動き、寝そべり、身を伸ばしていた、牝牛がちらほらと、また群れをなしてもっと遠く、極度に鋭い夕日の光の中に、針葉樹林の傍にいた、また別の群れがもっと近く、もっと暗く見えた、一切が安らかに夕方の飽満にひたっていた。時計は五時半頃を指していた。畜群の中の牡牛は白い泡だつ小川に踏み入っていて、ゆっくりと逆らいながら、また屈従しながら、その激する流れ従って行った、こうして彼は恐らく彼流の残忍な楽しみを味わったのである。ペルガモから来た二人の暗褐色の生きものが牧人であった、少女が殆ど少年のような服装をしていた。左手には幅広い森林帯の上に断崖絶壁と雪原、右手には私の頭上高く、日靄の薄紗の中に漂いながら、二つの巨大な氷結した岩角。一切のものが偉大で、静かで、明るい。総体の美が戦慄をそそり、美の黙示される瞬間の黙々とした崇拝をそそる、恰もこれより自然なことはないかのように、知らず知らず、人はこの澄みきった鋭い光の世界、憧れる、満たされぬ、待ち受ける、前後を顧みるものをまったく何一つもなかった世界の中へギリシアの英雄たちを思い描いたプーサンとその弟子のように物を感じないわけにはいかなかったのである。英雄的に、また同じに牧歌的に。このようにして一人一人の人間もまた生きて来、このように自分を持続的に世界の中に感じ、また世界を自分の中に感じて来たのだ、そして彼らの中には最大の人間の一人、英雄的牧歌的な哲学の仕方の発明者、エピクロスがいたのである。
by BigBrother
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