このホームページには冨所正一さん(関連記事参照)についての記事があり、お読みくださった方からたびたび貴重なメールをお寄せいただいております。今回冨所正一さんの友人の方から、きわめて興味深い内容のメールを受け取りました。私ばかりでなく、冨所さんの事に関心をもたれる方々にも知っていただきたく思い、ここに転載させていただきました。
(2003/3/15日のメール)
初めまして
見附の近藤というものです。
たまたま 富所正一で検索したところ 貴殿のホームページを知りました。
懐かしく拝見させて頂きました。
実は この季節になると富所が懐かしく そのときは、大変ショックを
受けたものでした。
あの当時は、命日になると 三条大橋の上から彼が愛煙していた
チェリーを信濃川に流してやっていました。
でもそれも時間がたつにつれてやめてしまいました。
学校は違いましたが、彼とは同じ年で高校生のころ お互いにハムの免許
を持っていましたが、 違法電波でよく夜中しゃべっていました。
そのうちお互いの家を行き来するようになり、彼の自家製の無線機を
見せてもらったりもしました。
その頃の彼は、ギターだのフォークを歌うだの全く想像もつきませんでした。
頭は丸坊主で目だけギョロギョロで少し変わっていました。
でも何か馬が合いました。
私が、何年か新潟を離れて帰ってきたら、彼は長髪になっていて又ギターを
引くことにびっくりしました。
それから又行き来が始まり私の家でよくギターを聞かせてもらいました。(私も少しやりましたが)
彼からあの当時有名な?喫茶店でライブハウスのキャンドル(後の明治村)に連れて行ってもらい拓郎とか、井上揚水,上田正樹、加川良とかの話で盛り上がっていました。
二人で三条に加川良ライブを見に行き 彼の「一杯の飲み屋のおねいさん」はそのライブの後ヒントを得て?出来た様に思われます。
定期的に彼は、そこのステージでう歌ったり、FM放送に出演したり 活躍していて
友達として 優越感と同時に 羨ましかった記憶があります。
余談ですが、彼が三条大橋から飛び込む前キャンドルに寄っていて
その時、精神状態が普通じゃなかったと後でマスターから聞きました。
事故のせいで飛び込んだのでは無く、他に理由が有ったと思います。
非常に懐かしいあまり、長いメールしてしまいすみませんでした。
私は近藤さんに、この登場した「きゃんどる」(新聞にはキャンドルとカタカナで表記)についてお尋ねし、重ねてこのメールの当ホームページへの転載を依頼しました。そして、次のようなていねいな返事をすぐ頂きました。
(2003/3/27日のメールより)
(省略)
お問合せの「きゃんどる」は、やはりカタカナだったような気がします。
昔のことなので定かでは有りませんが。
キャンドルから明治村に名前を変えたのはいつ頃かはっきりしませんが
明治村を閉鎖したのは、17・8年前頃だったと思います。
面白いマスターで仕事そっちのけで、自分の趣味に生きる人でした。
富所の話もよくしました。
石丸さんは、明治村には行かれた事が有るんでしょうか。
店内は、マスターの手作りでごちゃごちゃしていましたが、
なかなかの物でした。
今は、どっかの会社が買取り資材置き場になっており
昔の名残はほとんど有りません。
又マスターが、どこにいるのかも分りません。
(以下省略)
親しい友人ならでの冨所さんの当時の横顔が浮かび上がってきます。冨所さんの知人の「きゃんどる」のマスターがユニークな人物だと知ることができました。本当に貴重なメールです。
これを皆さんにもお知らせすることができたことは嬉しい限りです。近藤さん、ありがとうございました。
by BigBrother
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