「土徳-焼跡地に生かされて」
2003.5.14
あいかわらず、貧乏だけど、暇のたっぷりあるBBです。昨今お金がなくとも時間を有意義に過ごす手立ては、五万とあります。NHKさんの方を持つわけではありませんが、各種のラジオ講座、テレビ講座なんてのが最も知名度があるでしょうか。
身近な長岡市でも、市民に向けてありがたい文化的な活動をしています。ためしに、「市政だより」をひらけば、さまざまな講座や催しものが行われています。映画鑑賞会が目を引きました。
長岡中央図書館主催の映画会は中央図書館で週一回ほどのペースで映画会は行われています。LDやビデオをプロジェクターで画面に映す方式ですが、実際のところどういう機械の仕組みかはよく分かりませんが、何よりもただで見れるのがいいですね。
ということで、さっそく4月29日に中央図書館に行ってきました。
映画会は午後2時からはじまりました。今回は「土徳ー焼け跡地に生かされて」というドキュメンタリーです。ドキュメンタリー作家の青原さとしさんがわざわざ東京から駆けつけてくださりましたし、その上来場者の方々に手ずからパンフレットを渡されました。
さて、このドキュメンタリーなのですが、パンフレットの内容紹介を読む限り、トテツモナクカタイものらしいという印象を受けました。
広島の寺の生まれである映像作家・青原さとしは、父・淳信の死の前に映像記録を始めた。この作品はその11年間分のビデオ記録をもとに綴られる。原爆で家族5人を失いお寺の住職として激動の時代を生きた父親の人生、高度経済成長期を生きてきた息子、その衝突と和解。聡は、父を知るためにふるさとの探索を始める。父が育った時代のふるさと、原爆以前の広島、それは毛利氏以来の城郭都市として築かれた町だった。個、家族、町、を育んできた土徳(地域の徳)とは?現在から過去、ヒロシマから廣島へ、縦横無尽に飛翔する大河巨編。
ふつうの映画でさえ2時間近くになるとしんどいのに、それがドキュメンタリーってのはどうも、と思いましたが、これが実に軽い!
扱っているテーマは生と死、戦争と原爆、人間の封建的なしがらみ、あるいは一転して豊な支えあい等々とかなり重いのですが、さらりと撮ってあります。一方で、鈴木清順?ぽく撮ってあったり、懐かしいテレビアニメ「ハリスの旋風」の主題歌を挿入したり、なかなか、凝ったつくりもしてもいます。盛りだくさんのお楽しみ袋的といったらいいでしょうか。もっとも、いささか軽薄気味のところさえあったりしますが。
映画会では最初と最後にこの「土徳」の映像作家、青原さとしさんの説明がありました。上映後の反応はよかったですから、このドキュメンタリーが力作であるのは明らかです。
ただ、こうしたまじめなテーマに対する映像作家の取り組み方、姿勢については、いささか不謹慎では?という異論も起きてくるのではないかと思います。あるいは「長すぎる、テーマをもっと絞り込んだら」という意見もでてくることでしょう。
映像作家の青原さんにとって、これらの意見は当然承知のことだと思います。ただ、あえて、こうした饒舌で軽薄とも受け取られかねない作品にしたのかに思いをはせると、一転この作品に対する共感が湧いてきます。そこには、正面切って大声でこれこそが正しいんだことを叫ぶよりも、はにかみ、いくぶん斜に構えてぼそぼそつぶやいたり、あるいはわざと照れ隠しに自己韜晦する作者の横顔が浮かび上がってくるからです。
もちろん、押さえるべきツボはちゃんと押さえているわけです。ですからあれやこれやと撮っているように見えて、ごちゃごちゃにならずに統一があるのだと思います。むしろ、饒舌なように対象を取り上げるのは、われわれにとってどんな重大事件でも、一方で日常的なあれやこれやがのなかのどこかに位置しており、たとえ、重大事件であろうと、多くの出来事の流れから切り離して、焦点を当てると、確かに本質は浮かび上がるでしょうが、また一方で、嘘っぽくなってしまうと作者は考えているのではないでしょうか。
そこには1960年代全般の世代に共通するメンタリティーが現われている気がしてなりません。
実は私も作者と同年代なのです。私は自分の世代のメンタリティーをかくのごとくに思っているわけです。もちろん、この認識は誤っているかも知れません。
いずれにせよ、確かなことは、この不思議な可能性を孕んだドキュメンタリーを興味深く見終えたという事実です。
上映会後、映像作家の青原さんと懇親会で興味深いお話を聞くことができました。ぜひ、この作品を足がかりに、さらに意欲的な次回作が出来上がることを期待しています。皆さんも、この作品が身近で上映される機会がありましたら、ぜひ、見られることをおすすめいたします。


by BigBrother
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