「続・失われた時を求めて〜(長岡版)」 1997.5.7
1:電車
       四月に北々線が開業しました。自家用車が一家に2台の昨今、電車は日常生活から次第に無縁になっていきますので、北々線が当初の試算のどおりに黒字になってくれればいいと願っています。ただそれゆえに、電車に乗ることがわくわくする非日常的な出来事になるかも知れません。
       一方で赤字の路線は続々と廃止されてきました。最近の燕電鉄の赤字経営の報道はこうした抗し難い流れの一つでしょう。この廃止問題はたびたび再燃してきました。かって全廃が確実視されていた頃、私は新潟市の白山から燕までの全線を乗ったことがあります。その後廃止の話は立ち消えとなりました。ただし、路線を短縮し、さらに燕のほとんどの区間は廃止して運行しました。その外見から、かぼちゃ電車の愛称で親しまれてきたこの電鉄も、今度ばかりは廃止となるのでしょうか?
       とうの昔になくなりましたが、長岡でも燕電鉄のような市民の足がありました。一つは栃尾電鉄です。私が初めて乗った電車が栃尾鉄道でした。栃尾と長岡の間を運行していました。廃線後かなりの間、レールは錆びるままに残されていたので、目にするたびに懐かしさを覚えたものでした。

         
        福島江から長岡高校近くを通る1km程が公園に

       もう一つは悠久山が終点の路線です。私はこちらの方は皆目知らないので何とも言えません。現在学校町の福島江の近くの当時の路線の一部が公園となっています。いわゆる鰻の寝床のかたちとなっています。この鰻は寝相が悪いらしく寝床はくねってまがっています。予備校が近いので、天気の良い昼時には若者が愉しそうに食事をしている光景が見られます。

       
      公園を飾る銅像



2:映画館
       いまから約8年前に映画館が長岡から消えました。それは現在の「かに道楽」の隣の建物の奥にありました。映画館といっても、確か3階立てのビルの一階と二階に他の店舗と同居していました。二階にはゲームセンターがかなりのスペースを占めていました。地下にはパチンコ店がありました。雑居ビルだったわけです。「かに道楽」があったところはかっては長岡書房という書店でした。長岡書房も映画館の閉館と前後して閉店したのではなかったかと記憶しています。
       
       
      映画館が接していた南側の道路から現在の状況
       閉館を惜しむ有志の人々が「市民映画館をつくる会」を結成して一時期熱心な活動をしていたようです。この会は閉店した長岡書房のニ階を事務所にしていたことがあります。現在宮内に長岡マリオンがありますが、この会と直接の関連はないようです。

      (このようなポスターで今も活動している=>)

       私は二度だけこの映画館に足を踏み入れました。1度目は高校の時で悪友とにっかつのピンク映画をこっそりと見にいきました。2度目は予備校の時で、「エーゲ海に捧ぐ」でした。現在にっかつはなくなっていますし、そもそもピンク映画という言葉も死語となってしまったようです。「エーゲ海に捧ぐ」の池田満寿夫氏はこの4月に急逝しました。両者に対して、ともに合掌。
       「市民映画館をつくる会」は閉館した映画館の器材をそこのオーナーから譲り受けたと聞いています。この会の関係者の一人が弟の会社の先輩だったことから、弟は器材(映写機)を片付けるのを手伝ったそうです。
       スクリーンは高価で、できたら持ちだしたかったとのことですが、確りと固定されて、残念ながらそのままに置かれました。弟はスクリーンの端を記念に持ってきました。それは厚さ0・5ミリほどのビニール製でした。この表面は銀色で、3ミリごとに1ミリほどの穴が規則正しく並んでいます。「スクリーンは銀幕と日本語で表記されるのがこれで納得いった」と弟は一人頷いていました。


3:新潟大学長岡分校
       現在の市立図書館と市民体育館は新潟大学長岡分校の跡地に建設されました。そこには工学部と教育学部がありました。私はこの教育学部を受験しました。結果はやる前から不合格になるのが分かりきっていました。前日徹夜状態で、受験とは関係のない小説を読み明していました。天気の良い朝でした。染みて凍った雪の上を歩いて自宅から試験場への近道ができました。
      付属中学  図書館  体育館
      現在ある建築物(付属中学、図書館、体育館)

       門を入ると雑然としたありさまで、私はちょっと迷って工学部の方へ行きかけました。校舎はほとんどが木造で、ペンキが至るところに禿かけていました。廊下が歩くたびに鳴りました。しゃれていえば鴬張りです。
       私の受験が長岡分校で行なわれた最後となりました。翌年教育学部は新潟の五十嵐キャンパスに合流しました。工学部はいつまでであったかはっきりしませんが、しばらく存続していたように記憶しています。
       私が受験した夏に猟奇的ともいえなくもない事件が工学部で起こりました。工学部のトイレの一室で浮浪者らしき人物が死体で発見されたのです。首吊り自殺でした。しかも死後かなりの日数が経っていました。4ヵ月くらいだったでしょうか。私は自分が試験をしている最中に同じ敷地内で死体が吊り下がっていたことを思うと、ある強い感情を覚えました。
       これには後日談があります。その後私は新潟大学の工学部の人からこの話を聞くことができたのです。この話をしてくれた人の友人が死体の発見者です。
       後日談はこうです。かなり前から、三つ並んだ大便用トイレの真ん中の一室が開かなくなりました。学生たちは屈託なく用を足し、時には誰かが中で死んでいるのではないかと冗談をとばしあっていたそうです。死体の腐敗臭はかなりきついらしいのですが、ここのトイレの悪臭もかなりのものだったことが気づかせるのを遅らせたといいます。それでも真夏になると異臭は紛れようがなく、開かずのトイレは学生たちの好奇心を不思議な期待と恐れをもってかきたてたそうです。それは時にはその話題をわざと避けさせるような無関心を装わさせるものだったようです。
       工学部の実験はデーターをとるために一晩中付きっきりでいなければならないことがしばしばあるそうです。発見者の二人の学生はそのような理由で夜更けまで居残っていたのでした。二人はやることを果たすと、所在のなさに肝だめしを思いつきました。大学の大便用は個室といってもただまわりが囲われているばかりで、上の方から簡単にのぞけるようになっています。そこで肩ぐるまでしらべようということになりました。便所まで行くと、馬になるのと肩にのるのをじゃんけんで決めたそうです。二人は手筈を整えました。下が立ち上がり上が覗き込んだ瞬間、上の学生は「ぎゃ」と叫び、その場で跳ね上がりそのまま走り去ってしまったそうです。下の学生は何だか分からないが恐怖と不安でこれまた逃げ去ったそうです。
       長岡分校は廃校になった後、かなりの間解体されずに残されていました。石を投げつけられて割れた窓ガラスが目立ちました。夕焼けの中にたたずむ廃屋には凄じい感さえ覚えました。
       市立図書館を利用しにでかけると、そうした出来事を心の隅に思い浮かべることも時折あります。

4:ある喫茶店の看板
       現在大手通りは地下駐車場の建設のため、大規模な工事が行なわれています。最近一段落の着いたアーケド工事が平行して行なわれていた頃は、通行はなかなかたいへんでした。
       以前大手通りとスズラン通りとの交差点に一際目を引くものがありました。それは建物の二階部分に車体が半分突っ込んだディスプレーで、「(PIT IN)ピット・イン」という名の喫茶店でした。一階は書店だったと思います。私はこの書店の真向かいの覚張書店でもっぱら買物をしましたので、この書店にもほとんど縁がありませんでした。喫茶店は1、2度入ったことがあります。誰と一緒だったのか、また何をオーダーしたのかもほとんど覚えていませんが、ただこの店にも流行っていたインベーダーゲームの台がテーブルを兼ねて据えられていたことを覚えています。
       この喫茶店ははいつの頃からか、閉店となり、「貸店舗」の札が吊るされていました。風雨にさらされた例のディスプレーは、手入れもされずにうす汚れたままでした。それも気づくといつのまにか撤去されていました。二階はいまだに空いたままですが、一階は全く別な店舗が営業しています。

 長岡駅西口にある「厚生会館」はそれ程遠くない時期に取り壊しが検討されています。
      厚生会館
       市民体育館、北部体育館、南部体育館、ハイブ長岡などが無かった頃、催し物が良く行われました。器械体操(弟の部活)の地区大会も何度か行われた

      厚生会横 
       雨がしのげる為、的が置かれ弓道などの練習に使用

      厚生会館噴水 
       鳩が沢山集まってきます

      長岡城二の丸跡  長岡城址
       かつてここには長岡城が在りました。悠久山にあるお城を模した建物は郷土資料館です。

      セントラルパーク噴水
       この近くにある公衆トイレにお化けが出ると言う話があり、弟の同級生が夜中に確認行き補導されたとか

      温室
       ゴミ処理の熱を利用して冬に花を栽培、販売していました。この3月末に閉店てし、現在は撤去されました。 

by BigBrother


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