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中学になってから大学の2年頃まで、ラジオをよくきいたものでした。中学生から高校一年の頃はもっぱら深夜放送でした。大石吾朗さん(だったかな?)の「一人でいれば、伝えられない、二人でいれば分かり合える・・・」というようなせりふで始まる「コッキーポップ」や、かぜこうじ(どんな漢字を充てるのでしょうか?)さんの「たむたむたいむ」、もちろんオールナイトニッポンはいうまでもありません。毎日DJ(その頃はパーソナリティーと言っていたようでしたが)が変わりましたので、特定の曜日を中心に聴いたものでした。
その頃のFM放送は現在と違い、NHKの1局でした。FM放送は土曜日のローカル放送を楽しみにしていました。リスナーのリクエストによる選曲が中心のコーナーやけっこう話題のゲストを招き、インタビューと歌などを放送していました。あのファイファイセットは常連に近いゲストでした。公開放送もしばしば行なわれていました。こうした企画の立案には千田アナウンサーが大きく関わっていたということです。あの紅白の司会の後、民放への華麗なる転身劇をうった人物です。ただし、例の「美空・・・」の生方アナウンサーではありません。その直後夕方のニュースキャスターを勤めていたようですが、現在はどうなさっているのでしょうか?
この千田アナの企画の一つに、地方のアマチュアの歌手たちによるスタジオライブがありました。何人かが公開録音の場で歌いました。びっくりするほど巧い女性もいました。そうした中の一人に冨所正一さんがいました。素朴でユニークな歌詞(むしろ猥雑でちょっぴり危険な所もある)の「お前まだ春らかや」、「農業高校」などのフォークソングを歌い、公開放送があると、常連のゲストとして招かれることも多かったのです。ある程度の人気もあったように記憶しております。当時一リスナーであった私にはこのシンガーソングライターが確実に上りざかにあったのだと思っていました。
しかし、冨所正一さんはこうした中で突然故人となってしまったのです。このニュースはやはりFM放送で知りました。「皆さんに悲しいお知らせがあります・・・」と女性アナウンサーが切りだしたと記憶していますが、彼の死を伝えました。その顛末は不幸としか言いようがありませんでした。
彼は長生橋で自動車事故を起こしました。この人身事故での相手も彼も幸いたいしたことはなく、相手のケガも軽いものだったそうです。しかし彼は発作的に橋から信濃川へと飛び込んでしまったのです。下流で溺れた彼が死体となって発見されました。彼の死後、スタジオで録音された音源から一枚のLPが製作されました。追悼盤ということになるでしょう。
私は長らくこの事を忘れていました。久しぶりに思いだす事になったのは、あるアルバイト先の一人の人物が冨所正一さんの名前を口にしたことからです。この人は最近(といってももう4年ほど前になりますが)「お前まだ春らかや」、「通信簿」を聴いて卒倒するほどの衝撃を受けたのだといいます。私も冨所正一さんを知っていること、彼が既に故人であることを知らせるといちだんと感慨深げにしていました。私も無性に懐かしく、この人物に無理を言ってテープにダビングして貰いました。久しぶでした。当時の短い期間の録音ですから、かっての印象と変わらないままでした。
もしも、もっと冨所正一さんの事をご存知の方がありましたら御一報下さい。
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