「続々・失われた時を求めて〜(長岡版)」 1997.6.17
1:駄菓子屋

 最近は駄菓子屋をめっきり見かけなくなりました。長岡駅東口のダイエー駐車場の近くの駄菓子屋はいつ消えてしまったのでしょうか?こじんまりとした店構え。 店番はおばあちゃん一人。ときたま元気のいい子どもたちが2、3人訪れるだけ。まったく絵に描いたように古典的とも言える駄菓子屋でした。この駄菓子屋に限らず駄菓子屋そのものがすっかりなくなってしまいました。
 もう一軒記憶に残っているのは、カッパ堂です。これは青少年文化センターの近く、やや長岡駅寄りにありました。長岡大手の私の同級生は、しばしばここで道草をしていました。たむろしていた級友が、「オバチャ〜ン、コーラー!」とはずんだ声で頼むのをよく耳にして通り過ぎたものでした。このカッパ堂も今はありません。


駄菓子屋のあった近くのお稲荷さんです。少し離れたところには互尊社があります。


2:科学博物館

 現在長岡市立科学博物館は柳原にあります。独立した建物ではなく、市役所の分庁舎の2階を占めています。ここへは5、6年前に一度足を運んだことがあります。中学校の先生と一緒に夏休みの課題研究の展示を見にきたのです。
 かって科学博物館は独立の建物として悠久山にありました。4回ほど見学しました。遠足で2度、家族で1度、もう一度は高校のときです。
 展示品のいくつかは今でも思いだせます。縄文時代らしい住居の復元がありました。入ってすぐに大きなスペースが割かれて展示されていました。
 なかでもよく覚えているのは始祖鳥の化石です。当時は本物だと信じていましたが、高校の地学のときに、始祖鳥は示準化石であるが、発見例は世界でわずか三体にすぎないことを知りました。貴重な本物が置かれていたとは思えません。おそらくあの化石はレプリカだったのでしょう。
 もうひとつよく覚えているのは野鳥のコーナーです。一隅にはスイッチを押すと野鳥の映像と鳴き声が解説のナレーター付きで聞けました。さまざまな野鳥の卵の標本がガラスケースに陳列されていました。水色の卵を見て、どんな雛が孵るのかなと不思議なほど興味をかき立てられました。
 最後にここへ入ることになったのは高校一年のときです。鷺のいる森を同級生と歩いていて、巣から落ちた鷺の雛を見つけたことからでした。科学博物館だったら何とかしてくれるだろうと、二人でその研究室へ運びました。もちろん入館料を払うはずはありません。その帰りがけちゃっかり館内を見て回りました。平日の4時近くで他の見学者は誰もいませんでした。


現在の科学博物館です。といっても2階のフロアーのみですが・・・。
月曜は休館日です。

3:喫茶店「スマイル」

 スズラン通りに今ある「かに道楽」は、かって長岡書房のあったところです。この長岡書房は長岡でも1、2の規模の大きさでした。1階、2階と店を構えていました。
 2階は参考書、とくに語学のテキストが中心だったように記憶しています。足しげく行った本屋でした。
 長岡書房への途中に、喫茶店「スマイル」がありました。途中といっても同じ通りに面し、2、3メートルほどしか離れていません。店の前を通る度毎にいつか入ろうと堅く決めていました。結局一度も入らずに終わってしまいました。
 私の記憶に間違いがなければ、この喫茶店「スマイル」の看板は店の前にそのつど設置するタイプで全体が黄色だったと思います。そこにはスマイルの文字(英字であったか、カタカナであったか覚えていませんが)とともにチャップリンの似顔絵がシンプルに描かれていました。この店さきのどこかに「生演奏」が行なわれていることを知らせる案内がだされていたように覚えているのですが、もしかしたら記憶違いかも知れません。しかし、私の思い出の中には「スマイル」と「生演奏」が結びつき、この店はジャズ喫茶なのだと確信するようになってしまいました。必ず訪れようと思っていたこの「スマイル」も今はもうありません。
 後にチャップリンが「スマイル」という曲を作曲していることを知り、店名の由来を納得した次第です。








「スマイル」はジャズスタンダード化しています。「マタドール」、「イフ・ユー・ゴー」、「ポートレイト・オブ・クリス」、「デクスター・コーリング」、の中でそれぞれ「スマイル」を演奏しています。


4:ある酒屋の思い出

 ラーメン屋の「王雅和」の近くに酒屋がありました。現在もこの通りの同じならびに酒屋があるのですが、どうもこれではないような気がします。しかし、なにぶん一回だけのことなので、はっきりしません。この酒屋の店先でジュースを飲んだことがあります。店で買った冷えたジュースをその場で飲んだのでした。当時の店が現在の店だとしても、今ではやっていないでしょう。
 当時そういうことをしていたのは、清涼飲料の自動販売機は問題になるほど町に溢れかえっていず、手軽に喉を潤すことができなかったからではないでしょうか?そもそも清涼飲料はビン入りでした。缶入り清涼飲料はトマトジュースくらいで、コーヒは家か喫茶店で飲むものだと思っていました。自動販売機はビンを収納しなければならず、かさばってしまうのでしょう。栓抜つきのがっしりした自動販売機は店内にある場合のほうが多かったように覚えています。
 当時この店には自動販売機はなかったように記憶しているのですが、はっきりしません。真夏の暑い盛りに本を買いに来た際、ちょうど星野くんという級友に会いました。彼が何か冷たいものを奢ってくれるというのです。彼はその店へ私を案内しました。彼は店の奥に入り「ここで飲んでいきます」と告げました。店の人が王冠を栓抜きで開けてくれました。日よけに昼さがりの陽射しがさんさんと照りつけていました。
 その後私はこの店に立ち入ることはありませんでした。彼とは高校の一年時だけの同級でした。クラス替えの後、自然とつきあいが絶えてしまいました。スキーがたいへん巧かったことが思い起されますし、ソバカスがちょっとある色白の可愛らしい顔が目に浮かんできます。私と同じく今では中年の入口に差し掛かろうとしている年齢のはずです。一体どのようになっていることでしょう。


5:ビン牛乳の思い出

 今家では毎朝牛乳を配達してもらっています。ビン入りの牛乳は最近ではめっきり見かけなくなりました。たいてい紙パック入りになってしまっています。私が高校生の頃、高校にある自動販売機はビンの牛乳でした。通常の牛乳にコーヒー牛乳とリンゴジュースがありました。現在もビン入り牛乳やリンゴジュースの自動販売機はあるのでしょうか?。
 ビン牛乳というと、思いだすのが互尊文庫にあった自動販売機です。もちろんこれもビン牛乳でした。しかも通常より10円ほど安く、互尊文庫に来ると、決まって飲んだものでした。大いに得した気分になったものです。現在の互尊文庫には冷水機が置いてあるだけです


by BigBrother


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