「小説家松岡譲について・その1」 1997.9.7

豪夏目漱石が文筆活動に専念したのは40歳から49歳まで、10年にもみたないですが、その業績たるや刮目すべきものがあります。芥川龍之介が大学在学中に羅生門を世に問うてから、その作家生活の幕を自らの手で引くまでほぼ13年です。この夏目漱石が芥川龍之介の作品を注目し、特に「鼻」を激賞したことは有名です。これが縁になり、芥川はしばしば仲間と漱石のもとへ訪れることになります。
 夏目漱石という超巨星とこれに連なる芥川龍之介という巨星は他の小説家たちを霞ませてしまいます。芥川とともに漱石に師事した人々の中には後に小説家として活躍した人々が何人かいますが、よほどの研究者でない限り、こうした小説家の作品を読むことは稀になっています。松岡譲もそうした一人です。ただ、長岡ではおそらく他所に比較して多くの人が松岡譲の名を記憶に留めていることでしょう。それはこの小説家が長岡出身であり、かつ長岡に居住していたことがあったからです。
 松岡譲が忘れ去られていったことの理由の一つには、漱石の長女筆子をめぐる久米正雄との恋愛問題があるがあるとされています。この実体験に基づき、久米正雄は小説「破船」をものしていますが、この小説の中で松岡譲をモデルにしたと思われる登場人物が、恋の駆け引きで卑劣とも思える術策を弄したように描いたことから、これが事実として受け取られ、松岡譲を文壇からも世間からも孤立させていったというのです。
 この説は話としては面白く、漱石の「こころ」を連想させるところもあるほど、でき過ぎの感が否めないでもありません。これが俗説なのか、あるいは真相なのかについて、私は良く分かりません。ただ言えるのは、「破船」はあくまで小説であるということです。真実を問うたのではなく、小説作品です。もちろん多くの人々が作品を事実と照らし合せてしまうのはしかたがないことです。漱石は賛成はしなかったかもしれませんが、日本のいわゆる「私」小説を生みだす土壌がありました。どうやらいまだに「私」小説が好きらしいと思わせたのが、一昨年だったでしょうか、NHKの連続テレビドラマの「春よ来い」でした。脚本家橋田寿賀子が自らのを人生をモデルにしたものでした。このドラマは主役が交替するなど何かと話題を提供してくれました。さらに、実際の橋田寿賀子の経歴とドラマの主人公の経歴が所々食い違う点にも、口さがない芸能マスコミがあれこれと報道してくれました。ドラマが本人の本名ででていない以上、虚構なのですから、橋田寿賀子の経歴と違うからと、鬼の首でも取ったかのように騒ぐものでもないでしょう。
 さて、松岡譲の件ですが、これについては、今東光が極道辻説法のなかで面白いことを述べています。これは20年ほど前に週刊プレイボーイで連載され、幅広い読者の質問や悩みに解答する人気コーナーでした。
 ここへ「夏目漱石の令嬢をめぐる恋のサヤあて事件の真相は?」ということで読者から次の様な質問が寄せられました。

     〜略〜漱石の長女筆子をめぐる漱石門下の葛藤、久米正雄対松岡譲のライバル関係、そして悲恋の久米に同情したのが菊池、芥川。久米の「破船」を読むと、松岡が令嬢獲得の過程でズルい手段を弄したかに見えるがラブバトルでは多少のカケヒキは非難すべきではないと思う。僕が京大在学中、松岡夫妻が下宿のすぐ隣に住んでいた。筆子夫人はまずまずの奥さんでしたが、松岡譲は稀な美男にて、この美男子に対しては芥川はともかく久米ではとても勝負にならんわいと思ったものでした。松岡をヒイキにするわけではないが、漱石令嬢を得た代わりに久米を擁護する文春集団から村八分になったことが、その後の松岡の文学的成長を拒む結果となったのではないかと思われますが、この辺りの実情について大和尚の高説を拝聴したい

 今東光は質問者の推定をほぼ認めた上で、次の様に語ります。

     大体おっしゃる通りだね。漱石の家へは、菊池、久米、芥川、松岡が出入りしていた。この中で夏目さんが婿に欲しかったのは芥川だったんだ。〜略〜。
     芥川が断るまで、松岡も久米も、芥川が競争相手じゃとても歯がたたんと思ってみんな黙ってたんだけど、芥川が退けば今度はおれらが立候補しても悪くはねえだろうというもんで、猛烈に運動を始めた。〜略〜。
     とにかく久米が令嬢をもらいたくて、やっきになって先輩の所へ行って運動したりしたんだが、久米は醜男だし、小説を書く方もどうも態度がよくないというんで、久米は落第。なにしろ夏目門下は評論家が多くて非常に厳重な考え方を小説に対して持っていたからね。それで今度は松岡を、ということになって、松岡になったんだ。
     松岡は大喜びだったんだけれど、同期の連中は久米を失恋させてまで松岡が選ばれたというのはやっぱり釈然としないんだよ。それに松岡自身も釈然としないから、昔ほどみんなの所へいかなくなった。そこで自然と孤立したわけだ。

 こう指摘することで、今東光は「破船」のかなりが虚構であると証言してくれるわけです。ですが毒舌で知られた今東光がこれで終わるはずはありません。

     松岡譲というのは新潟の門徒寺の息子なんだ。それで「法城を護る人々」を書いているんだが、小説家としての才能は全然ないね。何もあの連中が村八分にしたから小説家としてダメになったんじゃなく、最初から小説家としての才能がなかっただけの話でね。〜略〜。でもね。もしも松岡に才能があれば「お前らはお前らでやれ。おれはおれでやる」と言って、どんどん小説を書くことができたんだ。〜略〜あの小説(法城を護る人々)を読んでみればわかるけど、ぼくらの後輩が書くよりも生硬な文で、ちっとも面白くない。出ても誰も批評しなかったし、今の若い人で知っている人、いないんじゃないかな。ま、そういう事情だ。

 今東光の松岡譲評のすべてが正鵠をえているとは思えません。松岡譲に小説家としての才能があったか否かは別としても、ただ華々しさという才能以上のものがなかったことだけは確実のようです。


   
集英社刊
by BigBrother

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