「小説家松岡譲について・その2」 1997.9.9

 生時代の松岡譲の横顔を芥川龍之介が「あの頃の自分の事」(大正7年。発表は翌年)のなかで伝えていてくれます。

     11月のある晴れた朝である。久しぶりに窮屈な制服を着て、学校へ行ったら、正門前でやはり制服を着た成瀬にあった。こっちで「やあ」と言うと、向こうでも「やあ」と言った。いっしょに角帽を並べて、法文科の古い煉瓦造の中へはいったら、玄関の掲示場の前に、また和服の松岡がいた。我々はもう一度「やあ」と言った。
     立ちながら三人で、近々出そうとしている同人雑誌「新思潮」の話をした。それから松岡がこの間、珍しく学校へ出て来て、西洋哲学史か何かの教室へはいったが、いつまで待っても、先生はもちろん学生も来るようすがない。妙だと思って、外へ出て小使に尋いてみたら、休日だったと言う話をした。彼は電車へ乗るつもりで、十銭持って歩きながら、途中で気が変わってたばこ屋へはいると、平然として「往復を一つ」と言った人間だからこんな事は家常茶飯である。
「あの頃の自分の事」には、久米正雄との関係についても興味深く綴られています。
     そこへ幸い松岡も遊びに来た。松岡は我々は三人(芥川、久米、成瀬)が英文科に籍を置いているのにもかかわらず、ひとり哲学科へはいっていた。が、もちろん我々と同じように、創作もするつもりだった。彼は我々の中で、一番久米と親しかった。ひとしきりは二人で、同じ家に下宿していたこともあった。

 岡出身の松岡譲がその後長岡に居住していた際に、しばしば文学者にみられる強烈な個性は、地方在住者である保守的な長岡の人々を戸惑わせ、場合によっては不快にさせることもあったそうです。
 長岡で松岡譲の奇行とされているものに、この文学者の並外れた美食ぶりがあります。 第2次世界大戦をはさんで、苦しい食料難の折にも、とにかくできる限りの美味を求め、長岡一番の料亭にしか行かず、知人宅を訪れた際の食事の饗応がある場合には、例えば鮨は特定の店の鮨しか口にせず、自ら店を名指しして出前をとるように言ったそうです。  食い物の恨みは恐ろしいと言いますが、松岡譲がこうした形であれこれ語られるのは少々淋しい気がします。いずれにせよ、毀誉褒貶半ばするのは、ある意味ではさすが文学者だという感を抱かずにはいられません。


芥川龍之介「あの頃の自分の事」は、角川文庫「蜘蛛の糸・地獄変」より引用し、長岡の松岡譲の事については、元見附高校教諭巻良夫さんよりお伺いしました。


角川文庫刊
by BigBrother

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