「小説家松岡譲について・その3」
1997.9.14
現在最も読まれているであろう松岡譲の作品は、「漱石の思い出」でしょう。「漱石の思い出」は現在文芸春秋から文庫で出版されており、最も容易に入手できます。この作品が上げられることについては、疑念を抱かれる方々もあろうかと思います。この本は「夏目鏡子述、松岡譲筆録」とクレジットされています。このクレジットをそのまま素直に読めば、漱石夫人が語った漱石との思い出を、松岡譲がそのまま文字に起こしたと思ってしまいます。
この「漱石の思い出」の成立と発表の経緯は「編録者の言葉」の中で次のように語られています。
顧みますと私が未亡人に御願いして、こうしたものを是非書き残しておきたいと思い立ちましたのは随分と早いことで、かれこれ十年も、或はもっとになっているかも知れません。というのは、丁度其頃私は小泉節子刀自のラフカジオ・ヘルン小泉八雲先生の「思い出を」読んで、非常に動かされたのが間接の原因でありました。まだ漱石先生の亡くなられて間もない時の事とて、自分たちのうちにもしきりに追慕追憶の念の湧く時なので、よく未亡人から断片的な思い出話を伺っては感慨深く思ったものでした。がそれをそのまま聴き放しにしておくのが如何にも惜しいので、未亡人が健在で居られるうちに伺っておいて小泉先生の場合の未亡人の「思い出」のように、まとめて書きとめておいたらと痛切に考えたのが抑々の初めであったのであります。で折を見て其の話を致しますと、大分意も動いた様子でありましたが、いかんせん時が時なので、まだすべての追憶・記憶が生々しく即き過ぎて居て、客観的に眺める余裕もなく、かえって未亡人を苦しめる結果ともなるわけで、自然すぐにどうしようとう程気は進まれなったのでした。〜略〜。もう翌る年には十三回忌を迎えるという去年になって、どうでしょう、余り早くもなく、かといって遅くもなく、丁度十年を過ぎた今頃が、一番お話を伺うにいい時ではないでしょうかと乞うてみますと、未亡人の方でも大分意も動いてられて、かなり気乗りして話そうという気勢も見えましたので、私もそれに力を得て、いよいよ長年の宿願をはたすべく、本書の筆を起こすことになりました。丁度去年の真夏のことでありました。
其時未亡人は日光中禅寺湖畔の客舎に暑を避けて居られたので、そこへ出かけまして話を伺って書いたのが、本書の発端から結婚迄の条であります。そうしてそれを雑誌「改造」にのせました。それから毎月話を伺ってはそれを筆に移して、次々に「改造」にのせまして、十三ヵ月続きました。〜略〜。
ところでこれを書きます手順を申しますと、先ず私が大体其の年代に於ける先生の書簡日記俳句漢詩随筆などの生活記録と思われるものを前以て頭に入れておきまして、それだけの用意準備が整って、大体の輪郭が頭に浮かんで参りましてから、話を伺うことに致して居りました。〜略〜。伺った話は其場ですぐ骨子をノオトに取っておいて、ニ、三日頭の中で練っておき、それから一気に書くという風にして居りました。
以上のようにして「漱石の思い出」が書かれたわけですから、このような体裁を取るならば、当然のことながら、松岡譲の息づかいが自然と染み込んでしまうと、思われます。これが発表された当座、「これは松岡譲の漱石の思い出だ」とする評者もいたということです。こうした声に考慮したためと思われますが、次のように述べています。
最初はどうもこつが呑み込めず、そんなことのないようにと苦心しながら、かえって自分が出たがって困ったのです。が、あとではまずそう言ったぎこちないところがなくなって、未亡人の話の調子をかなりの程度で伝えることができるようになったかと思います。
これは松岡譲の遁辞でしょう。それは例えば、38の「病床日記」で漱石の日記と、夫人の日記と、安倍能成の手記を利用していますが、こうした手筈はすべて松岡譲の取り計らいでありましょう。
ただ「未亡人の話の調子をかなりの程度で伝え」ていると自負しているように、夫人の語り口は生き生きとしてしています。夏目漱石という不世出の文学者の秘話がもつ魅力ももちろんあるのでしょうが、松岡譲によって再現されているこの語り口によって、本書のエピソードは読者の心に染み入ってきます。この「漱石の思い出」を名著たらしめています。ですから、松岡譲が今東光の言うように「小説家としての才能は全然ない」のか否かは、こうした技量を持っていたことからすれば、おのずから明かとなるでしょう。
それでは今東光は誤った一方的な指摘をしたのでしょうか?「漱石の思い出」以外に、現在比較的用意に入手可能な書物は「敦煌物語」です。漢語が多く、格調高い文章となっています。敢えて文句をつけるならば、漢語のために、それこそ生硬過ぎるのだとも言えなくもないでしょう。「漱石の思い出」では流暢な語り口の腕を見せた松岡譲ですから、「敦煌物語」の文体を同様にすることもできたはずですから、敢えてこうした文体を選んだことは、それが「敦煌物語」に最適だと考えたことからなのでしょうし、おそらくこうした文体が好きだったのでしょう。ただこうした文体は悪くすれば生硬な文体に堕してしまうおそれがあります。「方城を護る人々」はいまだにその文体を使いこなせなかったからではないでしょうか。
「敦煌物語」はけっして目を見張るほどの面白い話ではありません。それどころか地味な話です。むしろ噛めば噛むほど味がでるスルメのような味わいがあります。これも名著の誉の高い一冊です。
「漱石の思い出」上梓時の批評ついては、元見附高校教諭巻良夫さんよりお伺いしました。
by BigBrother
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