富田常雄「薔薇の紘道館」の姿三四郎のモデルとしての西郷四郎 1997.9.25

 古本屋の投げ売りコーナーで富田常雄の「薔薇の紘道館」を買いました。50円です。この名に心当たりのない人もいるかもしれませんが、「姿三四郎」の作家といえば、知らない人はいないと思います。私の知っている限りでは、黒沢明によって映画化されています。また、2度のテレビドラマ化がなされています。テレビでの配役は、自信はないですが、1回目が姿三四郎役に竹脇無我、一人二役の対照的なヒロインに中野良子、2回目は姿三四郎に勝野洋、ヒロインが竹下景子、だったように記憶しています
 この「姿三四郎」の後日談となっているのが、「薔薇の紘道館」です。「姿三四郎」の結末では、主人公は傷心からあてのない旅へと旅立つ場面で終わりになります。「薔薇の紘道館」では、旅から戻った姿三四郎が再び紘道館で修業をしているという設定です。この中編は姿三四郎の再登場を熱烈に望むファンに作家がこたえた作品であるという色彩が強く、こうした中編の性格上、姿三四郎は確かに主人公の一人ですが、他の登場人物とその重要性の差はほとんどないといっていいくらいです。残念ながら、作品の面白さという点では今一つもりあがりに欠けているという印象を拭い去ることはできません。元気な主人公に再会できたことは、読者を安堵させ、嬉しがらせてくれます。しかし結局、主人公は止むにやまれぬ事情から、再び紘道館を一人去っていってしまいます。


 「姿三四郎」はあくまで虚構ですから、これを現実と混同してはならないことですが、一方でこれをわきまえながらも、モデル探しをしてしまいます。フィクションのモデルとなった現実の人物たちや団体・組織あるいは出来事があったということは有名だからです。そもそもこの中編は明治時代を舞台背景にしており、作家は明治時代にあった出来事、あるいは起こりえたであろう出来事を小説に積極的に生かしています。とはいっても小説の中に登場してくるそうした人物・出来事を現実と単純に同一視してしまうことはたいして意味はないし、それどころかある場合にはかえって不都合をきたすかもしれません。ただこの「姿三四郎」の登場人物の名や紘道館にみられる名の付け方を見る限り、余りに現実を予想させてしまうということがあります。例えばもちろん紘道館は講道館です。小説の登場人物を現実のモデルに単純に割り振るならば、師範の矢野正五郎は嘉納治五郎です。この師範のもと、四天王と謳われた人物のそれぞれは、姿三四郎は西郷四郎になりますし、戸田雄二郎は作者の父でもある富田常次郎です。壇義麿と津崎公平とはどちらが誰とは断定しかねますが、山下義韶と横山作次郎です。
 さらに嘉納治五郎と西郷四郎の略伝は次の通りです。

  • 嘉納治五郎(1860〜1938)
    教育家。講道館柔道の創始者。兵庫県武庫郡御影町(現、神戸市東灘区御影)に生まれ、1877年(明治10)、天神真揚流柔術の福田八之助に学び、次いで磯正智に入門、81年起倒流の飯久保恒年に師事。同年東京大学文化大学卒業。学習院に奉職し、東京下谷の永昌寺に、自他共栄、精力善用のもと講道館柔道を創始(1882)。85年学習院幹事兼教授、以来同校教頭、宮内省御用掛、89年渡欧、帰国後第5高等中学校、第1高等中学校、東京高等師範学校等の校長歴任。99年清国留学生のため神田三崎町に亦楽書院開設、後拡大し、弘文学院創立。一方1911日本体育教会初代会長、オリンピック委員。12年(大正1)ストックホルムオリンピック大会に役員として三島弥彦・金栗四三の両選手を引率。38年(昭和13)年カイロの国際オリンピック会議に出席、東京大会誘致に成功。帰路氷川丸船上にて病没。

  • 西郷四郎(1866〜1922)
    柔道家(6段)。講道館草創期の功労者。会津藩士志田貞二郎の三男、旧藩家老西郷頼母の養子となり、西郷四郎直心(のり)武、1882年(明治15)、17歳のとき上京、8月、永昌寺の講道館入門、翌年8月、講道館最初の初段、86年1月、5段に特進、同年6月の警視庁武術大会で山嵐により有名となる。90年、嘉納治五郎の渡欧中、かねて「支那渡航意見書」を残し、講道館を去り、長崎へ。このとき25歳。それ以後、長崎を中心に、日清・日魯両戦争を挟み、大陸問題運動家・新聞人として活躍。

 ここで私の興味を引くのが、西郷四郎の後半生です。その最晩年に、日本は第1次世界大戦後の戦後不況を経験しています。その死の翌年には、関東大震災が起きています。実際の西郷四郎はかなり政治的な活動をしたようです。略伝では明確な子細を知るべくもありませんが、戦争という大問題へと発展しかねないデリケートな事柄に関わりをもったようです。また同時に、西郷四郎の晩年はドイツでのナチスの台頭と重なっています。政治活動をする人間として、彼はヒットラーを知っていたのでしょうか?知っていたとすればどのような感想を抱いていたのでしょうか?大いに興味をそそられます。
 西郷四郎は姿三四郎のモデルという先入観で眺められる傾向があります。私は美しい虚像よりもありのままの実像を知りたいと思っています。それは小説が成立させたロマンと西郷四郎本人が生涯において心にいだいていた情熱の隔たり、落差、あるいは共通点を知りたい思うからです。そこにおいてこそ人間という存在の意義といったものが現れるような気がするからです。

現在「姿三四郎」は講談社から文庫全3巻で容易に入手可能です。
by BigBrother

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