「それでもまたまたまたまたまたまた酒の肴考」
1998.1.28
酒は百薬の長とも、命を削る鉋とも言われます。あるいは気狂い水とも。はたまた人間関係の潤滑油とも。酒好きからすれば、「酒なくて、なんのおのれが」ということなのですが。下戸の方からすれば、「よくもまああんなまずいものを呑んで、大声あげて馬鹿騒ぎをして」ということになります。酔狂という言葉のできた由縁ですね。
この酔狂を粋狂と書くこともあります。ほぼ同じ意味なのに、受ける感じは違ってきます。粋の字に高尚な雰囲気を感じてしまいます。さらにこの言葉から風狂を連想してしまいます。風狂は風雅を求めに求め、いささかもの狂おしくなるさまをのことです。そして風狂といえば、松尾芭蕉ということになります。
百骸九竅の中に物有り、かりに名付けて風羅坊といふ。誠にうすものの風に破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好むこと久し。終に生涯のはかりごととなす。ある時は倦みて抛擲せん事を思ひ、ある時は進んで人に勝たむ事を誇り、是非胸中に戦うて是が為に身安からず。暫く身を立てむ事を願へども、これが為にさへられ、暫く学んで愚を曉らん事を思へども、是が為に破られ、終に無能無藝にして只此の一筋に繋がる。西行の和歌に於ける、宗祇の連歌に於ける、雪舟の繪に於ける、利休が茶に於ける、其の貫道する物は一つなり。しかも風雅におけるもの、造化に隨ひて四時を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし、心花にあらざる時は鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化に隨ひ造化に歸れとなり。
長岡は目下雪に深々と埋もれています。芭蕉先生に「いざ行かむ雪見にまろぶ所まで」の句があります。風狂に生きた芭蕉の面目躍如たる名句です。この句の心にならって、ぶらっりと雪の散歩を楽しみましょうか。雪の梢を満開の桜、絶え間ない雪を落花としゃれましょう。もちろんバーボンを充たしたスキットルをポケットに忍ばせて。
by BigBrother
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