ぼくのオンリィ・イエスタディ「80年代思いだすままに」 その11
日清カップヌードルのテレビCM 1998.3.18

カップヌードル  国民的美少女コンテストが久しぶりに復活したということを耳にしました。脳裏に浮かぶのは後藤久美子さんくらいですが、歴代の優勝者や入賞者にはその後活躍するおなじみの顔ぶれが並んでいます。
 このコンテストの始まった頃、この前だったか、後だったかは忘れましたが、80年代の半ばに外国の美少女を起用した日清カップヌードルのCMが登場しました。
 外国の絵葉書のような風景のなかで微笑む少女。カップヌードルと結びつかないようにも思いました。CMというよりも美しいイメージフィルムと呼ぶのがふさわしい映像に見入ったものでした。
 このCMは評判が良かったのか、それとも当初からの予定だったのか、あるいはその両方の理由からなのか、その後幾つかのバリエーションのものがブラウン管に登場しました。すべてのCMをまとめたものも放映されました。いずれの場合も大沢誉志幸さんの「そして僕は途方に暮れる」が流れていました。一回聴いたら忘れられない奇妙な雰囲気がありました。
 「美少女」。いい響きですね。
 この言葉で連想するイメージは、清楚で長い黒髪が似合う肌の透き通るように白い少女です。もちろん子供らしい天真爛漫な活発さも大切ですが、あくまでも「深窓の令嬢」タイプなのです。これはぼくだけの見解ではなく、先のコンテストが92年に中断したのは、こうした美少女が80年代を最後として絶滅したことを認めての上だったと思うのですが。確かに「チャイドル」なんてことも言われていますけれど、「バラドル」全盛のこのご時世で、正真正銘の美少女という華は芽をだしがたく、芽をだしたとしても枯れてしまい、運よくつぼみをつけたとしても、アダ華になってしまう。それはそれで愛でるに価するのでしょうが。
 90年代のコギャルと呼ばれる少女たちは、援助交際、ポケベル、携帯電話あるいはPHS、ルーズソックス、茶パツ等々の記号を発信し、もはや純情可憐なおじさんに理解し難い存在になってしまいました。いずれにせよ、今から思えば80年代は正統派美少女が死に絶えた時代でしたし、アイドルがアイドルしていた時代でしたね。

by BigBrother

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