長岡のプレイスポット その=14
「長岡中心街の柿川沿い」
1998.6.4
柿川は殿町や阪之上や表町といった長岡の繁華街を幾分それて流れています。春には満開の桜が水面に映えていましたが、今は初夏の風が新緑をざわめかせています。
特に殿町の一帯は整備が行き届き、これからの季節待合わせまでの時間つぶしや夕涼みにぶらつくのに最適です。
それでは踏切を背にして、散歩をはじめましょうか。この踏切からはしばらく桜並木が続きます。釣人の姿があります。
殿町の飲みや街から近いところが一番整備されています。日よけの藤棚やベンチを備えた幾つかの休憩所があります。水辺まで降りれるようになっているのですが、子どもたちが川遊びするという雰囲気でないのがちょっと残念と言えば残念です。
二つの句碑があり、ひとつは井月です。幕末から明治にかけて活躍し、長岡藩士だとされている人物です。私はつげ義春氏の「無能の人」ではじめて知ったのですが。
もう一つは種田山頭火です。長岡の知人を訪れた際の句だそうです。
しばらく行くと、殿町稲荷です。平潟神社もさほど遠くではありません。
ちょっとした公園のような遊歩道もこの殿町稲荷辺りで終わりになります。柿川沿いには住宅が立ち並ぶため、川に沿った散歩はしにくくなるのですが、春日町が終わってから日赤町へはいるあたりから、ニセアカシアの鬱蒼たる新緑の蔭の中を再び散歩することができます。並木を抜けると、渡里町の由来の説明の立看がありました。左手には本年中に取り壊しの予定である旧日赤病院が見えます。
しばらく歩くと、きわめて大掛かりに整備された一角が見えてきます。ここが平和の森公園です。できあがったばかりで実にこざっぱりとしています。
柿川といえば、1945年8月1日の長岡空襲のさいに、火の手に追われてきた人々がこの川辺で多数死亡したという歴史があります。この公園はそうした悲惨な戦争を繰り返してはならないという願いをこめて建設されました。
公園内の「平和像」は、昭和26年に駅前に設置され、その後互尊文庫に接する明治公園に移されていましたが、一昨年ほど前にこの平和の森公園へとやってきました。
先の殿町から川沿いにこの公園まで足を運ぶのはちょっとたいへんかと思いますが、五十市の開かれる通りにわりと近いので、市にでかけた際に訪れてみられることをお薦め致します。高校生もその辺のところがよく分かっているらしく、昼下がりに通ると、高校生の姿を見かけることが時折あります。
それでは散歩はこのくらいで終わりにします。
by BigBrother
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