「我が高校時代のNHK新潟支局FM放送」について
読者からのメール(冨所正一さんについて) 1998.7.27

 当ホームページの「我が高校時代のNHK新潟支局FM放送」について、大谷さんから2回にわたり、メールを寄せて頂きました。2度目は最初のメールに対して私の質問に答えて頂いた内容が中心です。先の記事を補ってくれる以上に、貴重な情報ですので、以下に引用させて頂きました。


その1

 冨所正一の名前を発見し、懐かしさのあまりお便りしました。昭和51年、当時私は地元の中学1年生でしたがある土曜日、友達の家へ遊びに行ったときそこで一緒に聴いたのがNHK新潟FMのリクエストアワーでした。たまたまその日は、県内のアマチュアバンドを集めた「FMミュージックランド」の放送日で冨所正一はゲストで来ていたものと思います。「通信簿」「農業高校」をそのとき聴いたと思いますが、一発でファンになってしまいました。その後リクエストアワーにゲストとして出演したものを何度か聴きましたが、その秋の出演(10月頃だったと思う。)を最後に彼がQKFMに生出演することはなくなりました。そして翌年3月の突然の悲報。その追悼盤LPは2枚買いましたし、昭和53年7月に横山作栄さん等が新潟市音楽文化会館の大練習室で開催した彼の追悼大会(ゲスト黒坂正文)には友人2人と自転車で片道3時間かけて参加しました。当時のテープが残っていると思いますのでこれから聴いてみたいとおもいます。

 PS「長生橋での人身事故の後信濃川へ飛び込み」とのことですが、私の記憶ですと三条大橋を長岡方向から走ってきて反対車線の欄干に衝突後、現場に居合わせた人の静止を聞かず飛び込み自殺したものと思います。何かの機会に当時の新潟日報を探してみようと思います。


その2

 まずはご質問に答えたいと思います。

Q1QKFMとは

A1.NHK新潟放送局のコールサインはJ0QKなのでNHK新潟放送局のFM放送はQKFMと略称していました。私が勝手に称したのではありません。当時の千田アナもQKFMと云う言葉を何度となく番組(FMリクエストアワー)の中で使用していたと記憶しています。


Q2追悼大会の主催者・横山作栄そしてそのゲスト黒坂正文について

A2.追悼大会(とは大げさな表現でしたが)の正式な名称が分かりました。「歌は生き続ける」と題しての集会でした。昭和53年7月2日新潟市の音楽文化会館大練習室で行われました。横山作栄さんについては私もあまりよく知りません。たまにNHK新潟の夕方のニュース番組のBGMとして彼の歌が流れることがあります。黒坂正文についてはそれ以上に知りません。

 「我が高校時代のNHKFM新潟支局」を見てから冨所正一の追悼LPや当時のFM放送をエアチェックしたカセットテープを探し出しました。当時の放送を録音したテープが次のようにあります。

  • 昭和52年3月19日放送
    FMミュージックランド(司会:千田正穂アナ)...約60分
  • 昭和53年7月2日開催
    「歌は生き続ける」(会場の最前列でマイクを使用して録音しました。)...約60分
  • 昭和51年10月頃放送
    FMリクエストアワ−・司会千田正穂・ゲスト冨所正一(おめまだ春らかや、農業高校、どじょうを取りに行こうや、お寺の鐘)約15分
 他にもテープはあるようですが今、「解読中」です。

 (話が変わりますが) 昭和51年10月(上記の録音テープがそれです。)のQKFMゲスト出演が彼(冨所正一)の生の声が電波に乗った最後でした。というのは、私は彼の次の出演を心待ちにし、FMリクエストアワーは毎週欠かさず聞きました。昭和52年3月19日のFMミュージックランドも彼が出演するものと思って録音していたのです。しかし、その数日後耳にしたのは彼の生の声ではなく、アナウンサーが伝える彼の訃報でした。その当時、私は中学生ながら52年10月のテープを聞き直すたびに彼(冨所正一)は悩んでいたんだなぁ、と感じていました。たとえば、おめまだ春らかやにしてもそれまでの歌詞とそのとき(昭和51年10月)の歌詞ではまるっきり変わっています。農業高校もどじょうを取りに行こうやも然りです。とにかく当時のことを思い出すと感慨深いものがあります。

by N.大谷



by BigBrother


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