矢沢宰「光る砂漠」  1998.10.29

 今年は太宰治の没後50年とのことで、新たな視点から再評価していこうとの動きがあると聞いています。一読で世の文学好きの多くを虜にした太宰の文学は、おかたい人々から軟弱な小説だと言われたこともかってあったようです。
 話の面白さと絶妙な文体によって、あたかも読者は自分だけに太宰から彼の苦悩と絶望を打ち明けられるように錯覚し、心から太宰に共感するようになる、こうした点が熱狂する大きな一因ともなったと聞いています。一方でこの点を湿っぽっくて、情けない文学だと批判されたそうですが。
 太宰治の文学全般に対してどのような再評価が行なわれているのか、知らないのですが、再び注目されるのは、いまだに褪せることのない叙情性が満ちているからだと思います。ある作家は太宰文学の魅力を、豊かな詩情だと喝破したそうです。
 ところで、私は太宰治と聞くと、矢沢宰のことに思いが行くのです。名前は字は違いますがどちらもおさむと読みますし、「宰」の字を共通としているからです。どちらも早逝している(太宰39歳、矢沢21歳)ことも、私が二人を連想してしまうのだと思います。そして何と言っても両者が本質的に詩人だということにあります。
 矢沢宰には「光る砂漠」(周郷博編)童心社という遺稿詩集があります。詩集なんてまったくがらではない私ですが、次の2編の詩を読むと、生の不思議さ、せつなさを感じます。

   <少年>

光る砂漠
影をだいて
少年は魚をつる
 
青い目
ふるえる指先
少年は早く
魚をつりたい

 
 
   <小道がみえる>

小道がみえる
白い橋もみえる
みんな
思い出の風景だ
然し私がいない
私は何処へ行ったのだ?
そして私の愛は


 矢沢宰は終戦直前に中国に生まれ、その後まもなく新潟県見附市に移りました。7歳で腎結核を発病し、この病に21歳の死まで絶えず苦しめられ続けます。死後生前に書き留められた詩が遺族の尽力により、世にでました。現在見附には彼を記念して詩碑が立てられています。

(上の記述はkuuei ikeyamaさんからの次のメールを参考にさせていただきました) (宰は昭和19年(1944)に生まれました。戦後ではありません。生まれも中国で、父の現地召集で母と戻ったのが父のふるさとの現在見附市(当時は南蒲原郡上北谷村)です。 参考までに)
by BigBrother

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