長岡まつり1996年夏



起源

     昭和20年8月1日−この日は、長岡市民が永遠に忘れることの出来ない歴史的な日です。
     この日の夜10時26分から1時間40分にわたってB29−約126機による焼夷弾爆撃を受け、旧市街地のほとんどが火の海に…。1460余人が亡くなり、約6万人の人が家を失いました。
     長岡市では、この悲しい日を長岡市復興への意義ある日とするため、一年後の昭和21年8月1日に「長岡市戦災復興祭」を開催。これが市民の共感を得て年々盛んになり、昭和二十六年からは、「長岡まつり」と名称を変えて現在に至っています。
     なお、花火大会は、明治12年の9月14日・15日、千手町八幡様のお祭りで行われたのが最初と言われ、大正15年には中川繁治花火師によって正三尺玉が打上げられ、人々のど肝を抜きました。この花火大会は、昭和13年に非常時ということで中止されましたが、昭和22年の復興祭で復活しました。(三尺玉は26年から復活)
    −長岡市・長岡まつり協議会 平成8年7月25日発行 長岡まつり 「特集号」−


行事の一部

8月1日前夜祭(民謡流し)
8月2日花火(会社主催の焼肉)
8月3日昼行事(大手通りの催し物)
花火(駅から大手大橋)



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