どんど焼、塞の神  1999.1.15
中央より少し右に どんど焼きの準備の稲わらの山

 新年を迎えると、正月、七草粥、鏡開き、小正月・・・と多くの行事があります。どんど焼では餅や鯣を焼いて食べるようです。昔は若い人でも風邪などの病気で亡くなることが多かったようですから健康を願うという意味合いが強かった様ですが、最近は地域のコミュニケーションに重点があるようです。竹で組んだ3m以上もある円錐の枠に藁を巻き付けた物が燃えるわけですから住宅が密集した場所ではなくある程度広い空き地が必要となります。

 今回は長岡市の東口から歩いて数分の今朝白町に少なくとも10年以上前から行われているどんど焼の様子紹介になります。ここは長岡市今朝白の青少年文化センター近くです。夏には畑と田んぼとなる野球場より少し広いくらいの場所です。雪が無ければ田んぼだと思います。先ず昼間の画像は1月11日に雪のため渋滞している時に撮影したものですが、気が付いたらあったので準備は一週間程前から行われていたと思います。

 当日は駅ビルの本屋で夢中になってしまい気が付いたら5時15分を過ぎていました。冬至から一ヶ月も経っていないため既に外は真っ暗です。もう終わっているかもしれないと気持ち急いで脇の道路へやって来ましたが、どんどに火が付けられた直後の様でした。最初は炎に負けないくらい煙が出て、時々枠として使用した竹が割れる大きな音がしていました。驚きながらも参加者は近くでスルメを焼いていました。数は少ないですが、どんどには正月の飾りなどが付いています。10分位で全体が炎に包まれました。藁の火力は良く燃えていたときは3m以内には近づけませんでした。周りでは大人がほろ酔い気分で気分が良さそうでした。私もデジカメで撮影していた時に「ご苦労様です」と缶ビールを勧められました。一応「町内の人間じゃ無いんですよ。」とお断りしたんですが、さらに勧めていただいたので有り難く頂戴しました。暖かい炎と明るい声で楽しい会話が弾んでいたようです。

 40分以上経ってどんど自体は燃えて背丈程度となりました。しかし、簡単には消えそうにありません。私は失礼させていただきましたが、サツマイモを焼いている様でしたからそれを食べてお開きとなったのでしょうか。火を使う行事なので準備をはじめ大変だと思いますが、冬のこういった行事も良いものですね。

火がつけられて数分後 どんどには正月の飾りなどが付いています。
火がつけられて数分後

 今回も広辞苑CD-ROM第四版で調べますと、以下のように出ていました。
    さえ‐の‐かみ【障の神・塞の神・道祖神】サヘ‥
      (伊弉諾尊イザナギノミコトが伊弉冉尊イザナミノミコトを黄泉ヨミの国に訪ね、逃げ戻った時、追いかけてきた黄泉醜女ヨモツシコメをさえぎり止めるために投げた杖から成り出た神) 邪霊の侵入を防ぐ神。行路の安全を守る神。村境などに置かれ、近世にはその形から良縁・出産・夫婦円満の神ともなった。みちのかみ。道祖神(ドウソジン)。さいのかみ。今昔一三「すべて人無し。只―の形を造りたる有り」
      _―‐ば【道祖神場】サヘ‥

    さえのかみ‐ば【道祖神場】サヘ‥
      「どんど場」参照。__参照_
      どんど‐ば【どんど場】 どんどを燃やす特定の場所。多くは村境の道祖神を祀った道祖神場(サエノカミバ)であった。

    どんど
      小正月(一月一五日)に村境などで行う火祭。門松・竹・注連縄(シメナワ)などを集めて焚く。どんどやき。とんど。_季・新年_。
      →左義長(サギチヨウ)。
      _―‐ば【どんど場】
      _―‐やき【どんど焼

    さ‐ぎちょう【左義長・三毬杖】‥チヤウ
      [図]左義長 (もと、毬打ギツチヨウを三つ立てたからという) 小正月の火祭りの行事。宮中では正月一五日および一八日に吉書(キツシヨ)を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打三個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月一四日または一五日(九州では六〜七日)長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・七五三飾(シメカザリ)・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子供組などにより今も行われる。どんど焼。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打。_季・新年_。徒然草「―は、正月に打ちたる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあぐるなり」
      [図]左義長

by SmallBrother


  [TopPage] [Nagaoka] [New]