火焔式土器
(かえんしきどき)
昭和11年12月31年 長岡市郊外の馬高移籍から発掘。独特の渦巻きととさかとよばれるニワトリの鶏冠
(とさか)
のような美しい飾りが四つあり、これが燃えさかる炎のように見えることからこの様に呼ばれるようになりました。
馬高の遺跡で火焔土器を発見したのは、関原に住んでいた近藤篤三郎という人です。篤三郎さんのおじいさんが、土器や石器を集めて、熱心に研究していた人だったので、お父さんの勘次郎さんと息子の篤三郎さんも、土器や石器に興味をもちはじめ、とうとう、そのとりこになってしまいました。
そこで、この馬高の土地には、きっと土器や石器があるに違いない、と目星をつけて、わざわざこの土地を買って、前の年からほり進めていたのです。
そのうちに、縄文時代の中ごろのものと思われる住居あとが見つかり、そこから、石が長方形にならべられている、いろりのあとがほり出されました。さらにその近くをほってみると、ほりの深い、ワラビのようなうずまきもようのある土器のかけらや、のこぎりの歯のように彫刻されたかけらなどが、ひとかたまりになって出てきたのです。
「ひとかたまりになっているのだから、一つの土器がこわれて、そのままうめられてしまったのにちがいない。」
と考えた篤三郎さんは、それらのかけらを全部、家に持ち帰って、一つ一つていねいに組み合わせて、土器を復元したのです。今まで見たことのない、かわった形の土器でした。
−「新潟の歴史ものがたり」11〜13頁から殆どそのまま抜き出しています。−
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