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新潟予備校長岡分校

  • ぼくのオンリィ・イエスタディ「80年代思いだすままに」 その1 -

ファイル 2-1.jpg  ぼくの1980年は予備校の1年でした。大学に落ちて長岡にある新潟予備校に通っていました。その頃の新潟予備校長岡分校は大手通りの一番奥まった雑居ビルに入っていました。現在はどうか分かりませんが、当時の予備校の授業は案外のんびりしたもので、ちょくちょく脱線していたような気もします。ある英語の先生はユニークな経歴の持ち主でした。授業はまったく忘れているのに、海軍の通信兵としの話、世界をめぐり歩いた話などはいまでも記憶に残っています。国立文系コースの授業は西向きの一室で行なわれることが多く、西日で部屋が眩しくなったことを思いだします。

 現在の長岡商工会議所で行なわれた予備校のオリエンテェーションには、当時の名物予備校講師の一人、西尾孝氏が心持ち甲高い声で流暢にまくしたてながら、講演を行ないました。ぼくはBSNの「旺文社大学受験ラジオ講座」を聞いていたので、この声はその後1年間何度となく耳にしました。彼の実戦シリーズを何冊か備えて、机の上に載せていました。どちらかといえば「ツン読」のたぐいでしたけれど。

ファイル 2-2.jpg 予備校では前年度に導入された共通一次テストに備えるために、毎土曜日だったか、隔週だったかにマークシートで3教科が行なわれていたような気がします。満点を取ると図書券がもらえました。

 雑居ビルには前年田中角栄氏と越山会を批判して選挙に立候補して落選した人物の事務所がありました。現在国会議員のかっぷくのよいこの人物が黒塗りの車から姿を現わすと、浪々中にあるにも関わらず、威風堂々とした印象を受けました。ぼくとはまるっきり接点のない人物でしたが、それでも同じく浪人中ということで、なにかしら親近感を覚えたものでした。一時期キングメイカーとして名を馳せた田中角栄氏も死去し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった越山会も解散したことを思うにつけ、感慨ひとしおのものがあります。

 前回は本命一筋でしたが、今回は複数校を受験してどこかにひっかかてくれることを期待していました。関東のマンモス校に受験に行った時、前の席にかわいい女の子が座っていたのですが、前隣の男がナンパしているのを見て、「こいつとんでもないやつだな」と感じたのを懐かしく思いだします。

 予備校からもらったお守りの御利益で、幸運なことに本命の大学になんとかすべりこむことができました。現在の新校舎へ移転したばかの予備校に、合格を報告に行くと、桜の苗木を手渡されました。この桜は毎年申し訳程度の花をつけるのですが、うーん、ぼくの人生をそのまま象徴していますね。