エリア0258
新潟県長岡市の情報

プロフィール

タグ一覧

コンテンツ

QRコード

  • 携帯電話での閲覧に活用下さい!

記事一覧

トップ > BB

パチンコ桃山の地下遊技場

「パチンコ桃山の地下遊技場」
「長岡のプレイスポット その1」 1997.7.31

ファイル 21-1.jpg 長岡駅をでると、左手に更地が広がっていますが、かっては長崎屋というデパートがありました。手前の信号機次第では感慨にひたるかどうかが決まってしまいますが、この横断歩道を渡ると、パチンコ店が3軒ならんでいます。一番右側のパチンコ店は、十数年前は電気店だったか、家具店だったかその両方だったかでした。まったく「パチンコ店の勢力おそるべし」ですね。

 最左翼にある桃山というパチンコ店はおそらく一番の古株ではないでしょうか?このパチンコ店には地下があります。ここでなつかしいスマートボールが楽しめるのです。

ファイル 21-2.jpg え?「スマートボールてなんだ?」ですって。今ではこれを知らない人が多いのも無理はありません。ピンボール(これだって知らない人がそろっと出始めているかも知れませんね)がただ名誉を求めるだけの孤独なダンディズムに満ちているとしたら、スマートボールは娯楽と射幸心をくすぐる泥臭いスノッビズムを帯びています。ありていにいえば、今のパチンコ台をぐっと素朴にレベルダウンし、台を寝かせてあるのです。玉は一回り大きな白いビー玉を、スマートボールのように手動で弾くのです。

 スマートボールの台は幾つか種類があります。みなさんそれぞれ自分に合う台をさがして遊んでいるようです。ただ大きく分けるとすれば、2種類の玉の買い方によって分けられるのではないかと思います。一つは100円硬貨を投入して15個ほどの玉を買うやり方。もう一つはいったん200円でメダルを3個買い、そのメダルを投入して10個ほどの玉を買い点数を稼ぎ、メダルを増やすやり方。

 とにかく遊び方によっては時間をつぶせます。2千円でじっくりやれば当分スマートボールを見たくなくなるほど堪能できます。私は時々2千円でまったく景品のことなど考えずに、ノスタルジーを噛みしめるためだけに行きます。

 パチンコが昨今楽しめる娯楽から何だか分からないものへ変容していくなかで、ふるきよき娯楽の王様「スマートボール」を味わってみてはいかがでしょうか?


「ART」(1960)



1. SO BEST MY HERT FOR YOU
2. GOOBYE,OLD GIRL
3. WHO CARES
4. OUT OF THE PAST
5. YOUNGER THAN SPRINGTIME
6. THE BETS THING FOR YOU IS ME
7. I'M A FOOL TO WANT YOU
8. THAT OLD DEVIL CALLED LOVE

 トランペットのワンホーンでは名盤の折り紙つきです。
 奇を衒ったところのない地味な演奏ですが、だからこそ聞き飽きない作品です。
 特に4曲目の「アウト・オブ・ザ・パスト」にはメランコリ―な翳を帯びた演奏にしみじみとした哀歓を覚えます。
 この「ART」では先ごろなくなられたトミー・フラナガンさんがリズムセクションの一員として活躍しています。主役のトランペットを引き立てる演奏には今更ながら感心せずに入られません。


「OVERSEAS」(1957)


ファイル 11-1.jpg

1. RELAXIN' AT CAMAEILLO
2. CHELSEA BRIDGE
3. ECLYPSO
4. DALARANA(Take 3)
5. VERDANDI(Take 1)
6. WILLOW WEEP FOR ME(Take 2)
7. BEATS UP
8. SKAL BROTHERS
9. LITTLE ROCK
10. DALARANA(Take 2)
11. VERDANDI(Take 2)
12. WILLOW WEEP FOR ME(Take 1)

 ジャズピアニスト、トミー・フラナガン、11月16日ニューヨーク市内の病院にて死去。享年71歳。合掌。
 名バイプレイヤーとして定評が高く、その名前は数々の名盤にクレジットされています。
 この「オーバーシーズ」はトミー・フラナガンさんのリーダー作品であり、ピアノトリオの名盤とされています。このCDを聞くと、いつも颯爽と疾駆していく流線型のスポーツカーが思い浮かぶのですが、どうしてでしょうかね。
 ウィルバー・リトル(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)とすばらしいインタープレイを交わしている一枚です。


「THIRD DIMENSION」(1956)



1. ROLAND'S THEME
2. SLOW GROOVE
3. STORMY WEATHER
4. THE NEARNESS OF YOU
5. A LA DARTE
6. EASY LIVING
7. TRIPLE THREAT

 ローランド・カークの初リーダー作品です。
 ジェームス・マディソンのピアノ、カール・ブルーイットのベース、ヘンリー・ダンカンのドラムというリズムセクションにローランド・カークのホーンですから、ワンホーンの正統ジャズになるはずですが、ローランド・カークはテナーサックス、クラリネット、ストリッチ等々とさまざまなホーンを鳴らし、これを多重録音していて摩訶不思議な雰囲気をだしています。
 一人で数種類の楽器とか多重録音とかと聞くと、実験的で難解な分かりにくい作品なのでは?と思われるかもしれませんが、驚くほど聞きやすいですね。むしろ、洒落た味わいがあります。
 とくに、四曲目の「ザ・ニアネス・オブ・ユー」はテナーとクラリネットの掛け合いが面白いですね。その情感は夢幻のようにどこかとらえどころがないようでいて、永遠の影に覆われていることを確信させてくれる不思議な演奏です。


水木しげる「悪魔くん千年王国」講談社 全2巻

ファイル 744-1.jpg ちょとした流行語にさえなった「ミレニアム」は、ラテン語由来で「千年間、千年期」という意味だそうです。日本人にはとって、この「ミレニアム」は区切りが良いということを除けば、たんなる年月の経過にすぎませんが、キリスト教圏の人々にとっては微妙な感情を引き起こす言葉だと聞きました。それは同時に、この言葉が「至福千年、千年王国」を意味するからだそうです。この宗教的ヴィジョンを示す言葉は、私のような非キリスト教徒には、むしろエキゾチックに響きます。
 この「至福千年」はさまざまなバリエーションがあるそうです。でどころは複雑らしいのですが、もっとも有名なのは、聖書の「ヨハネ黙示録」が予言する世界の終末とキリストの再臨による神聖統治の記述だそうです。
 わたしは「ミレニアム」といわれても、別段これといった宗教的な感情におそわれることはありませんが、決まって思いだすのが、水木しげるさんの「悪魔くん千年王国」です。
 ところで、水木しげるさんは同じような設定でありながら、内容が異なる「悪魔くん」をいくつか描いています。
 私が最初に出会ったのは、今から二十数年ほど前に「少年ジャンプ」に連載された「悪魔くん」でした。冒頭から悪魔を召喚するするまで、実におどろおどろしい雰囲気に惹きつけられました。不気味な蛙男、不可思議な書名の数々、梟女の幻想的な登場、魔法陣と「エロイムエッサイム」の呪文。少年の夢想をかきたてる小道具がいたるところにちりばめられていました。
 後半部分はリアルタイムでなく、ずいぶん後になって読みました。悪魔くんが警官隊の発砲で死ぬ場面が印象的ですね。
 この「悪魔くん千年王国」は他のものの中では一番劇画的でシリアスです。水木しげるさんの独特の土着的なユーモアがでていないとも言えます。でも、わたしは水木しげるさんの「悪魔くん」と言えば、これを思い浮べますし、好きな作品ですね。


古谷三敏「ダメおやじ」1巻のみ 小学館

ファイル 247-1.jpg  最終的に何巻になるのかわかりませんし、三人の子どもの末っ子は途中で生まれたように私は記憶しているのですが、1巻ですで小学生ほどに成長しているので、この巻の前に話があったような気がします。いずれにせよ最終的には、アウトドアライフのノウハウを中心とした蘊蓄まんがになっていったように覚えています。

 1巻の話は思っていたよりも悲惨でした。競輪にのめり込んで家族からいっそう相手にされなくなったり、リストラで北海道へ飛ばされる途中で自殺を考えたり、赴任先から着の身着のままで上野駅にたどり着いた時には精神に変調を来していたりと、だめおやじというよりも、考えようによっては現代の中年サラリーマンにとって切実な問題が描かれていています。現在の不況下の日本で退職金を払わないためにいやがらせで辞職に追い込む企業があることを思いあわせると、笑えないギャグまんがになってしまっている観があります。そう言えば「ナニワ金融道」の青木雄二氏が朝日新聞で、日本のサラリーマンは労働者意識に欠けているし、自分たちの地位の向上を考えるのならぜひ選挙に行くべきなのにそれもしない、という主旨のことを述べられていましたが、本当にそうだと思います。

 だめおやじは趣味の世界に自分の生きがいを見いだすことができました。はたして現在の日本で自分の居場所は見つけだせるのでしょうか?

by BigBrother


タグ:古谷三敏

菅野美穂「NUDITY」ルー出版

ファイル 244-1.jpg いわゆるひとつのヘアヌード写真集ですが、今を時めく人気アイドルがモデルとなったことが多くのヘアヌード写真集の出版の経緯と趣を異にしたため、マスコミが大騒ぎしました。果ては当の人気アイドルの涙の記者会見もあったりして話題になった一冊です。

 よく分かりませんが、内容自体はさほど際立ったものではないのかも知れません。おそらくもっとプロポーション抜群のダイナマイトボディのモデルが絵画的なポーズを決めている他の写真集が存在することでしょう。それに比べれば、この写真集は人気アイドルの等身大の姿とその変化を表現しようと意図しているように思われます。もちろん、あくまでフィクションとしてでしょうが。それは成功していると思います。ただやっぱりもっと露出度があれば・・・。やっぱりぼくは芸術とは無縁なただのすけべなおじさんですね。

by BigBrother


タグ:ヘアヌード

ジョン・レノンとサリンジャー

  • ぼくのオンリィ・イエスタディ「80年代思いだすままに」 その3

ナインストーリーズ 1980年12月8日のジョン・レノンの死は、確かに大ニュースだったのですが、先年のダイアナ元皇太子妃の死ほど世間は大騒ぎしなかったように記憶しています。この4月からぼくは大学生活を始め、そろりと酒の味と麻雀をおぼえて、能天気な生活を過ごしていました。
 この年来日するはずだったポール・マッカートニーは、麻薬所持で税関から刑務所に直行し、かなり長い取り調べを受けた後、強制送還されていました。そういえば、これをネタにスネークマンショーの面白いコントがあったっけ。
 レノンはこの年「ダブルファンタジー」を久方振りにリリースして、ヨーコ・オノと枯れた感じでキスをしているカバー写真が篠山紀信さんの撮影だったり、作品の半分はヨーコ・オノの作品だったりと、結構話題になっていました。そのことで口さがない批評家からなんのかんのと言われていました。そういうぼくもジョン・レノンの作品だけでアルバムを統一してほしかったと思っていましたが。
 今ならストーカーという便利な言葉ができているので、「レノンはストーカーによって射殺された」として、当時の事件は大々的に報道されたかも知れません。
 この事件でサリンジャーという作家をはじめて知りました。レノンを撃った犯人は、そのまま現場にとどまり、警官が来るまで持っていた「ライ麦畑でつかまえて」を読み耽けっていたといいます。
 サリンジャーはこの事件をきっかけに読むことになった数少ないアメリカ作家となりました。作品の中では野崎孝訳「ナイン・ストーリーズ」が一番好きですね。短編集で一作をすぐ読み終わることができるからという理由ですが。


貸しレコード店

  • ぼくのオンリィ・イエスタディ「80年代思いだすままに」 その2

LPジャケット 家にはカセットデッキと一緒になったレコードプレイヤーが使われずに置かれたままになっています。FMとAMのチュナーが組み込まれ、一応二台のスピーカーを備えたセパーレートタイプですが、もちろんこの用途はレコードをテープにダビングするためです。このレコードプレイヤーを買った頃、大学生が始めたという貸しレコード店の躍進ぶりは目覚ましいものがありました。著作権問題を引き起こしながらも、貸しレコード店は我が世の春を大いに謳歌していました。
 レコードにたいするCDの優位が決定的になった頃、貸しレコード店も大きく様変わりして行ったように思います。ちょうど前後して、ビデオデッキの普及によってレンタルビデオ店も雨後の竹の子のように登場していました。この両者を取り込んだ店舗が現れました。これとほどなく草創期からの貸しレコード店がその企業展開を失敗し、倒産したと報道されたように記憶しています。
LPとCD  長岡にあった貸しレコード店の一つに、「友&愛」がありました。いつのまにかなくなったようですが、それがいつなのかまったく知りませんでした。妹がここからしばしばレコードを借りていました。ぼくは妹のダビングしたテープで、サザンオールスターズ、荒井由美、YMOなどを聞きました。中でも佐野元春は大いに気に入り、「サムディ」は繰り返し聞いたものです。
 最近アナログレコードの評判がとみに揚っているそうです。CDより広い音域が深みを感じさせ、しかも耳も疲れさせないそうです。それでもCDの攻勢は跳ね返そうにありません。ぼくはCDはいつの日にかテクノロジーの発達によって、アナログレコードの音質に並ぶように思うのですが。

by BigBrother


新潟予備校長岡分校

  • ぼくのオンリィ・イエスタディ「80年代思いだすままに」 その1 -

ファイル 2-1.jpg  ぼくの1980年は予備校の1年でした。大学に落ちて長岡にある新潟予備校に通っていました。その頃の新潟予備校長岡分校は大手通りの一番奥まった雑居ビルに入っていました。現在はどうか分かりませんが、当時の予備校の授業は案外のんびりしたもので、ちょくちょく脱線していたような気もします。ある英語の先生はユニークな経歴の持ち主でした。授業はまったく忘れているのに、海軍の通信兵としの話、世界をめぐり歩いた話などはいまでも記憶に残っています。国立文系コースの授業は西向きの一室で行なわれることが多く、西日で部屋が眩しくなったことを思いだします。

 現在の長岡商工会議所で行なわれた予備校のオリエンテェーションには、当時の名物予備校講師の一人、西尾孝氏が心持ち甲高い声で流暢にまくしたてながら、講演を行ないました。ぼくはBSNの「旺文社大学受験ラジオ講座」を聞いていたので、この声はその後1年間何度となく耳にしました。彼の実戦シリーズを何冊か備えて、机の上に載せていました。どちらかといえば「ツン読」のたぐいでしたけれど。

ファイル 2-2.jpg 予備校では前年度に導入された共通一次テストに備えるために、毎土曜日だったか、隔週だったかにマークシートで3教科が行なわれていたような気がします。満点を取ると図書券がもらえました。

 雑居ビルには前年田中角栄氏と越山会を批判して選挙に立候補して落選した人物の事務所がありました。現在国会議員のかっぷくのよいこの人物が黒塗りの車から姿を現わすと、浪々中にあるにも関わらず、威風堂々とした印象を受けました。ぼくとはまるっきり接点のない人物でしたが、それでも同じく浪人中ということで、なにかしら親近感を覚えたものでした。一時期キングメイカーとして名を馳せた田中角栄氏も死去し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった越山会も解散したことを思うにつけ、感慨ひとしおのものがあります。

 前回は本命一筋でしたが、今回は複数校を受験してどこかにひっかかてくれることを期待していました。関東のマンモス校に受験に行った時、前の席にかわいい女の子が座っていたのですが、前隣の男がナンパしているのを見て、「こいつとんでもないやつだな」と感じたのを懐かしく思いだします。

 予備校からもらったお守りの御利益で、幸運なことに本命の大学になんとかすべりこむことができました。現在の新校舎へ移転したばかの予備校に、合格を報告に行くと、桜の苗木を手渡されました。この桜は毎年申し訳程度の花をつけるのですが、うーん、ぼくの人生をそのまま象徴していますね。