西長岡のブックオフは気楽に立ち読みができることもあり、私にとって貴重な場所になっています。夕方訪れていつものように店内を回っていると、楳図かずお「漂流教室」全5巻がそっくり揃って、ただしバラで置いてあったので早速読みはじめました。再読なのですが、かなり前に読んだので、あらかた忘れてしまっていました。実に面白く我を忘れて没頭し、いよいよ最終巻を手にとろうとすると、棚から消えているのです。どうやら誰かが5巻だけ買ってしまったようなのです。あともう少しで読み終っていたのに・・・・。まったく残念でなりませんでした。それはともかく楳図かずお「漂流教室」の凄さを再認識した次第です。
ところで楳図かずお氏は既に恐怖まんがの分野で押しも押されぬ大家でした。この「漂流教室」というどちらかというとSF色の濃い作品を読んだ時、こんな作品も書くのだなと思った記憶があります。後に「わたしは真悟」などのSF的作品を多く手掛け、この分野でも大いに筆を振るうとは思いも寄りませんでした。
また予想外であったのはギャグマンガの分野でもすばらしい作品を生みだしたことです。まず頭に浮かぶのが、「アゲイン」です。これについては、他日述べることもあろうかと思いますので、詳細については割愛しますが、沢田まことをはじめとした沢田一家など主要人物が登場しています。
「アゲイン」にもまして、はちゃめちゃなギャグにあふれているのが「まことちゃん」です。下ネタ満載ですが、くだらなさをはるかに越えたヴァイタリティーが感じられます。説明を要しない面白さです。もっとも解説が必要ならギャグとは言えないでしょうが。
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長岡駅前に横断歩道が大黒屋とタクシー会社を結ぶように走っています。タクシー会社に面した歩道を駅を背にしてしばらく歩くと、右へ曲る通路のすぐ角にその酒小屋はあります。カウンターだけの10人ほどで満員になってしまう店です。
おもての「二酒小屋」を一見すると、これが店名と思ってしまいますが、「二」はもともと「和不二」という酒の銘柄を示していたのですが、「和と不」の二文字は落ちてしまって直されてないままなのです。こうした店構えに対する無頓着ぶりは、店内にも充分表われています。古びた椅子は、新品の頃には腰をおろす部分にクッションがついていたようなのですが、今ではまるっきり木製になっています。夏に活躍する2台の扇風機はアブラとホコリで真っ黒になっています。どちもらに古さを通り越して、レトロな印象すら覚えます。
ここはモツ煮込みだけです。ですから注文をとるのは日本酒かビールかの別を聞くためです。柔らかくなったモツ、絹ごし豆腐、こんにゃく、といった具がタライのような銅製の鍋でぐつぐつと煮られています。このモツ煮込みは小鉢ではなく、縁のややそりかえた皿に山盛りにされますが、店主は煮汁がこぼれようが頓着しません。さらにこの雰囲気を味わいたかったら、日本酒を頼んでおきましょう。この銘柄の「和不二」は栃尾の酒です。これはコップ酒でだされますが、夏冬にかかわらず燗が付けられています。酒を温める機械は同じくレトロな雰囲気が漂っています。お約束通りにコップ酒はふち一杯に注がれ、 その受皿にはこぼれた酒が波打っています。
こうしたすべてによって店が醸しだすクセのある雰囲気に魅せられたら、たびたび足を運ぶことになるでしょう。
長崎屋がとうとう解体されました。 閉店はしていましたが、しばらく一部の店舗では営業が行なわれていましたので、今一つ「店じまい」という言葉がピンときませんでした。実はブラザーから聞いて、初めて耳にした次第です。私にとってなにかと思い出のある建物でした。 長岡に住みはじめてから20年近く過ぎましたが、いくつかの風物が失われました。今回の長崎屋もその一つです。長崎屋は小学生の遠足でやってきたことがあります。エスカレーターをはじめてみたように記憶しています。
長崎屋で最も心に残っているのは、ジュースの自動販売機です。3階か、4階かの駅前のロータリーが見下ろせる窓の端に置かれていました。販売されているのはオレンジジュースきりです。もちろん折り紙付きの無果汁でした。10円は安すぎるような気もしますが、せいぜい30円ではなかったかと思います。この販売機は現在の販売機のような缶ジュースのタイプではありません。ジュースを呑みたい人自ら備えつきの紙コップをセットするような、きわめてオールドファッションのものでした。この自動販売機の頭部にあたるところには透明の半球がありました。それがロボットをどことなく連想させました。しいて上げればスターウオーズの人間タイプでないほうだといえます。この半球の内部では絶えずオレンジジュースが噴水のように吹き上げられていて、透明半球の内側を伝わって流れていました。これになにかしら心を惹かれ、幾度か硬貨を財布からとりだしたことを思いだします。長崎屋が閉店して以降、この販売機はどうなったのでしょうか?そもそもこうしたタイプは現在あるのでしょうか?
同名著書の映画化です。もっとも平凡社の著書は「デルスウ・ウザーラ」とされています。この「デルスウ・ウザーラ」は名著の評判が高いにもかかわらず、かって長らく品切だったことがありました。現在は平凡社の東洋文庫の一冊として入手可能ですし、極最近では河出書房新社から文庫サイズとして出版されました。
「デルスウ・ウザーラ」が重版されたのは7、8年前になります。その際読んだ筈なのですが、あらかた忘れていました。ただ映画のストーリーは原作とかなり違うような気がしたので、原作を引っ張り出してざっと目を通してみると、脚本は原作のつぼは押さえているものの、挿話の順を自由に組み変えているのです。そのことは、映画ではデルス・ウザーラとの出会いから始まるのですが、原作ではゴリド人のデルス・ウザーラとの再会後の探検が語られているのです。すなわち、原作は映画の第2部における1907年のことを中心に語られているので、決して、映画に見られるように、1906年のことはな直接には言及されていないのです。「デルスウ・ウザーラ」の解説を読む限りでは、ハンカ糊を調査した1906年の紀行文は存在しないようです。ひょっとすると、そうした紀行文が存在しているのかも知れません。ただ、原作を読むと、映画の1906年のエピソードが1907年のエピソードから取られたものだという印象を受けますので、原作のエピソードから黒沢明監督が再構成した可能性が高いと思われます。もちろん、そうだからだといって、「デルス・ウザーラ」が「デルスウ・ウザーラ」の改竄であるということにはなりません。「デルスウ・ウザーラ」の上映時間は2時間半近くに及ぶ、大作であるのですが、登場人物は主人公のデルス・ウザーラと語り手で著者のアルセーニエフであると言っていいかと思います。原作も大部の割りには、登場人物がけっして多いと言うわけではありませんが、映画に比べて多くの人々が登場し、著者はこうした人々に言及しています。